晃華学園事件・児相問題

陳述書(6)

旧2A臨時保護者会(乙イ第11号証)への反論、2015年11月30日


更新:2017年2月19日テキスト追加

1. 陳述書(6)、テキスト


陳述書(6)

平成27年11月30日

 

東京地方裁判所 民事第44部合議1A係 御中

 

 

1. 緒 言

 

 このたび、被告法人晃華学園(以下、「被告法人」という。)から、2011年に晃華学園小学校元教諭被告高階俊之(以下「被告高階」という。)が、自己の担任する2年A組児童に対し行なった、学校教育法第11条但書ならびに児童虐待の防止等に関する法律(以下「児虐法」という。)第3条に違反する暴行(学校体罰)行為に関し作成された、「平成25年3月17日臨時保護者会」と題する報告書のオリジナルが、乙イ第11号証として提出されました。

 

参照:晃華学園小学校・旧2A臨時保護者会、2013年3月17日(乙イ第11号証)

 

 従来から存在した、平成25年3月17日に学校内で開催された「旧2A保護者会」と呼ばれた「臨時保護者会」において、被告石上壽美江(当時、学校法人晃華学園理事長ならびに小学校長。以下「被告石上」という。)が報告書を朗読した音声の録音(甲第16号証)と、今回証拠提出された報告書の書面とを比較しますと、一部アドリブで語句が付け加えられている以外両者は同じで、ほぼこの報告書の通りに全文朗読されています。しかし被告法人は、本報告書の書面を当日参加した保護者には配付せず、また会場で投影されたパワーポイントにも、この報告書の内容は、標題以外一切書かない(甲第91号証)という方法で、これをあくまで口頭報告にとどめ、被告高階らがなした学校体罰事件が外部に流出しないよう図りました。

 

 被告らがもつ根深い隠蔽体質は、ここにおいて既に明らかです。

2. 被告法人・被告石上が認めた学校体罰と、不十分な事後処理

 

 このたび、オリジナルの報告書全文を改めて読み返しますと、被告高階による激しい学校体罰が被告法人において行なわれた事実を、少なくともその一部、被告法人が公式文書において認めていることは明らかです。

 

 児童の頭部を繰り返し叩いた事実、並びに被告高階がこの暴行行為をなしたことについては、10頁で「確かに一定期間は叩くということは認められなかったものの,それまでの厳重な指導にもかかわらず2学期末に手をあげる行為が再びあった」と、「再び」という単語を用いて、「叩く」行為が繰り返されたことを明白に認めています。また、9頁で「担任教諭に対し、『保護者から児童の頭を叩いているという訴えがあったが事実なのか』と尋ねました。担任教諭は、『そのようなことがあったかもしれません。授業中に動き回る子を制するため、何度言っても聞かない子に、手を出してしまったかもしれません』という答えが返ってきました」と、被告高階の自白を引用して教諭の児童に対する暴行の事実自体を明確に認めています。さらに、「授業中にトイレに行くことは認めない」(3頁、以下括弧内は本報告書の頁付を示す。)として、便意を訴えた児童を手洗所に行かせなかった事実を認めています。被告法人ならびに被告石上・田島は、もはや、違法な学校体罰がこの小学校に起こった事実を否定することはできません。

 

 とはいえ、この報告書は、事実関係の把握においても、学校体罰をなくす被告法人の取り組みとしてみても、全く不十分なものです。本報告書において被告石上が確認した事実として説明したのは、被告高階が行ったごく一部の行為です。

息子の伶龍が私に切々と訴えたところから判断すれば、被告法人と被告石上は、この学校体罰・虐待事件の全容を捉えるための真摯な調査を大きく怠っています。実際に晃華学園小学校で行なわれた学校体罰・児童に対する虐待は、この報告書にあるものよりはるかに甚大であったことは、疑いありません。

 

 そもそも被告石上は、この学校体罰事件を、被告高階に「不適切な指導」があったという、曖昧かつ抽象的な表現で誤魔化そうとしています。そして、被告石上は、「『叩く』といった不適切な指導があったことに関し「『体罰』という表現を用いて回答してしまうと,その言葉が独り歩きしてしまわないかという懸念」(13頁)がある、などと不可解な言辞を弄し、児童を「叩く」ことを体罰ではないと強弁して言い逃れを弄しました。

 

 このように、被告法人ならびに被告石上は、表では「保護者の皆さんがどんなに心を痛めていらしたことか,本当に申し訳なく思います。いたたまれない気持ちになりました」(15頁)などと、報告書を飾り立てている宗教者ぶった言葉の数々とは裏腹に、自己の管理下で起こった児童への明らかな暴行・虐待行為という動かぬ事実を誠実に認める謙虚さも、それに対する真摯な反省もまったく欠如させたまま、狡猾な責任逃れにのみ汲々としているのです。

 

 このように全く不十分な被告法人の学校体罰・虐待問題の事後処理のやり方からすれば、被告石上には、理事長ないし校長として学校管理をする最高責任者として、暴力・虐待に対応する教育者に相応しい責任の観念を持ち合わせているとは判断できません。被告石上は、学校内の体罰・虐待行為への共犯者とさえみなすことができると思います。

3. 学校体罰・虐待事件の責任逃れを図る、被告法人・被告石上の遁辞と欺瞞

 

 被告法人ならびに被告石上は、この学校体罰・虐待事件に対する管理責任から逃れようとして、数々の見苦しい遁辞を弄しています。

 

 まず、既に提出した証拠(甲第11号証)により明らかの通り、被告石上は、「頭を叩く」行為を原告に対し「指導」であると強弁しました。このことについて、被告法人ならびに被告石上は、「学校としても叩く行為が継続している事実はないと認識しておりましたので、3月の段階でご指摘があった担任教諭の体罰の云々については、体罰はなく指導であったという趣旨の回答を申し上げました」(13頁)と、狡猾に逃げを打っています。しかし誰が見ても、教室で教師が児童の頭を叩く行為は、学校体罰そのものです。ところがそれを、被告石上は、継続さえしていなければ教諭が児童生徒に対し体罰を加えても「指導」として認められ、合法であるという奇異な見解で言い逃れを図っているのです。勿論、学校体罰は、教諭の側に正当防衛などの特段の事情がない限り、一度でも違法です。このことから、小学校ならびに法人の最高管理者であった被告石上は、学校体罰を「指導」として容認する人物であるという驚くべき事実が、立証されます。

 

 報告書をよく読むと、さらに遁辞があります。「深くお詫び申し上げます」(13頁)と言うのは、「不適切な指導の存在を正面から認めることを避けたこと」(14頁)に向けられたものであって、決して、学校内で体罰・虐待がなされた事実に明確に向けられた反省ではありません。

 

 この点は、平成27年11月20日付で被告石上・田島が裁判所に提出した「準備書面3」において、よりはっきりと確認することができます。被告らは、「当該臨時保護者会は,被告高階による不適切な指導があったことを認めて謝罪し,再発防止のために適切な措置を講ずることを約束したものである。原告らが主張するような被告高階による『学校体罰』・『虐待』は存在しないので、そうした『学校体罰』・『虐待』を認めた事実はない」と、本報告書で一度は部分的にせよ認めたはずの学校体罰と児童に対する虐待の事実そのものの否定へと主張を変遷させるという、明白な不当抗争を始めたのです。

 

 表向きの敬虔そうな言葉の裏で、被告石上と被告田島が、学校内での児童生徒に対する体罰・虐待を容認する立場にあることは、この書面で再度確認されています。その被告石上と田島が、陰では舌をペロリと出して、保護者に秘密に虚偽の「虐待通告」を報復的に繰り返し、この体罰の深刻な被害者である原告伶龍を児相送致して抹消し、事件の握りつぶしを図ったのです。「ひとりひとりの子どもは神様から託された大事な子どもたちです」(15頁)などという歯の浮くような美辞麗句に隠れて児相と癒着し、被害児童である伶龍を児虐法の「一時保護」制度を悪用して冷酷に教室から排除し、その机すら撤去したのです。この共同不法行為には、被告法人のキリスト教の理念に基づく学校にあるべき誠実さも、被告石上が聖職者として本来持つべき人間愛も、微塵も認められません。

 

 学校体罰の加害者である被告高階の処分についても、この報告書には欺瞞があります。「担任教諭には訓戒とともに、自主的な休職を促しました」(10頁)と述べて、被告石上は、被告法人が高階に対しあたかも「訓告」処分を既になし、あるいは将来において処分をするかのような印象を与えて、保護者を欺いています。実際には、被告高階に対する公式の「訓戒処分」を被告法人が行なうことは全くありませんでした。このことについて被告法人は、被告高階に対するものも含め「教員らに対する懲戒処分」が「とられなかった事実は認める」と、準備書面(2)第3の13で公式に認めています。被告法人の最高責任者たる理事長であった被告石上は、違法な学校体罰、児童への虐待を繰り返した被告高階に対し何らの懲戒処分も加えることなく、すべてがうやむやの中での辞職とし、仲間内での極めて甘い対応で事件の幕引きを図ったのです。

4. 本件体罰・虐待に関し調査委員会を設置しなかった被告らの不作為

 

 被告法人は、「再発防止についてご説明します」(15頁)として、学校体罰事件が起これば「調査委員会を立ち上げます」と明言しました。もし、被告らが真にこの児童への暴行・虐待事件を克服して学校の再生を図ろうとするのであれば、「再発防止のために適切な措置を講ずることを約束したものである」と準備書面3で主張している以上、「まず隗より始めよ」の譬え通り、なによりまず本件について、客観的・中立的な第三者調査委員会を立ち上げるべきでした。

 

 この第三者調査委員会は、被告高階らの行為について厳格な調査を行ない、その結果を俟って臨時保護者会を開催し、調査結果に基づき、明確に、暴行、傷害、監禁、強要の行為という違法があった事実を公表し、その具体的事実を列挙して、被告高階も同席して事実説明と陳謝をさせ、これに対する然るべき適正な処分を行うことを約束しなければなりませんでした。これが、学校で問題が起こった場合の事態収拾の基本です。

 

 しかし、被告法人とその責任者であった被告石上は、これを全く行ないませんでした。従って、この準備書面3で被告石上・田島が唱えている立派な「約束」すら単なるリップサービスに過ぎず、虚偽と言わざるをえないでしょう。

 

 この報告書の内容からすれば、この学校体罰・虐待事件に関する「調査」は、せいぜい、被告石上が、被告高階に密室的な聞き取りをした程度だったと考えられます。報告書は、「担任教諭にも児童を叩いた事実があるかを確認しました。すると、担任教諭は、すぐに強く否定しました」(13頁)、「当該教員に対して、そのような事実を目撃したか否かを確認しました。すると,そのような事実を目撃したことはないということでしたので,児童の文章の内容をそのまま認めることはできないと判断しました」(12頁)などと書いています。仲間内である教員の主張はすべて正しく、作文で体罰を受けたことを切々と訴えた伶龍の声は初めから疑うという姿勢です。被告法人は、このような、差別と偏見に満ちた先入観で、教諭が「児童を叩いた」事実の相当部分を頭から否定しようとしたのです。

 

 そればかりではありません。伶龍が作文で、「十二月二日にはらをたたかれました。それは二十分休みの時でした。いたかったです」と訴えたことをとりあげて、被告石上・田島は「準備書面3」で「原告白身が原告の児童虐待を自白していると評価できる」などと、とんでもない言いがかりまでつけています。このことから、被告石上らが所沢児相になした「虐待通告」が、手当たり次第に報復の怨念にかられなした虚偽であったことが、大変よくわかります。

 

 被告らの身贔屓、そして自分の学校教諭がなした体罰・虐待まで保護者になすりつけて、自らの責任に直面しようとしない「調査」姿勢は、およそ公教育機関のなすことではありません。

 

 この事件においては、客観的・中立的第三者による調査委員会設置が絶対に必要です。なぜなら、被告高階だけが調査対象ではないからです。被告高階の暴行と児童に対する虐待を長期にわたり黙認し放置し続け、教諭の児童に対する体罰を「指導」と強弁し、その裏で秘密裏に虚偽の「虐待通告」を続けた被告石上、ならびに伶龍の担任教諭でありながら、被告石上と共謀して、原告らに秘して児相送致による体罰被害児童の遺棄に中心的役割を果たし、それによってこの学校体罰事件を隠蔽してその後小学校校長の地位を手に入れた被告田島もまた調査対象です。

 

 被告石上、被告田島、被告高階が相互にどのように共謀していたか、被告高階の前任校での経験を「ベテランであると同時に、不遜さを微塵も感じさせない節度ある礼儀正しさ」(2頁)と評価して採用した被告石上が被告高階の「指導」と称する学校体罰をいかに黙認していたか、などという事実関係が、第三者によって厳格に調査されなければなりません。被告石上については、理事長・小学校長として、被告高階が継続反復して暴力を行ってきたことを容認し、これを「指導」と強弁した監督責任が厳しく問われねばならなりません。

 

 それゆえ、被告石上が被告高階に対して調査をするというのでは、調査対象者間の仲間内的な馴れ合い協議に過ぎません。事実が隠蔽される方向に進むことは必至です。被告石上は、このような調査とすら言えないいい加減な調査報告でお茶を濁すことにより、自らの理事長・校長としての監督責任が追及されることから、巧妙に逃げたのです。しかも、調査対象者であるはずの被告田島は、責任を指弾されるどころか、体罰被害児童の児相送致によって事件を抹消・隠蔽した論功行賞で、校長の地位すら手に入れました。

 

 これらのことからすれば、被告法人と被告石上には、公教育機関としての十分な責任の自覚をもって真摯にこの体罰・虐待事件処理に取り組もうとする意思が全くなかったことは、誰の目にも明らかです。こうした背景のもとに作成されたこの報告書は、そもそも「調査報告」の名に値しない茶番劇の産物にほかなりません。

 

 百歩譲って、仮に、この報告書が読み上げられた保護者会までには時間が足りず、調査が不十分にしか行き届かないというならば、第三者委員会による本格調査終結を俟ってさらに保護者会を開催し、最終報告をすることもできました。しかし、被告石上も被告田島も、その後にこの報告のための保護者会を一切開きませんでした。さらに、被告田島は、校長に就任するや否や、伶龍が晃華学園に学籍を有するにも拘らず、その保護者である私を通常の保護者会に出席すること自体を不当にも禁止したのです。これが、私に、本件の一連の経緯を通常の保護者会で糺させないようにする目的であることは、明らかです。

 

 今後いつかわからない将来において調査委員会を立ち上げます、などと口先で述べたところで、再発防止の実効性は全く期待できません。それは、教職員の仲間内を庇いあい、この学校体罰事件を隠蔽し、そして保護者や将来受験するご家庭を誤魔化すためのリップサービスに過ぎません。被告石上が所属する「汚れなきマリア修道会」が経営する被告法人晃華学園は、このような危機管理が全くできない学校なのです。今後、別の問題がこの学校で起こったら、と考えると空恐ろしくなります。

 

 被告法人、被告石上、そして被告田島には、この学校体罰事件を内部努力できちんと事実認定し、そして究極的に処理・解決する意思がそもそもありませんでした。そして、このようないい加減な報告書だけで、事件の幕引きを図ろうとしたのです。事実認定が曖昧であれば、事後に、いつでも否認に主張を変遷できると考えたに違いありません。そして事実、被告石上と田島は、「準備書面3」で、学校体罰・虐待の事実自体の否定に転じました。

 

 昨今、多くの学校において繰り返される不祥事において、常に学校の隠蔽体質が問題となり、内部調査の杜撰さ、身内を庇うことによる相互保身の実態などがあることが指摘されています。このことからすれば、本件は、その典型的な事例です。その誤りを、被告法人、被告石上、そして被告田島は、まったく反省していません。頭にあるのは、誠意なく狡猾に逃げ回ることだけです。

5. 被告らの、教育責任・説明責任の放棄

 

 被告法人・被告石上は、報告書の中で、保護者への対応に関し、「児童を叩く行為が継続している事実はないことを確認しましたので,その旨を口頭でご報告しました。しかし,ご納得いただけませんでした。ご面談の機会もいただけなくなりました。」(12頁)と主張しています。しかし、以上述べてきたような仲間内の対応で学校体罰・虐待をうやむやのうちに握りつぶそうとする被告法人の甘い姿勢が、わが子を愛し、真に宝物と思う保護者に支持されないのは、極めて当然です。保護者は、客観的・中立的第三者を委員とする調査委員会をきちんと組織し、文書による調査結果報告と、それに基づく文書による明示的な謝罪がなされることを求めています。これがなければ、いくら面談をしても、押し問答の応酬で終わるだけで、無意味です。被告法人・被告石上は、以上述べてきたような、調査にもならない「調査」しかなさない自らの責任放棄を棚に上げ、原因を「面談に応じない」保護者に擦り付けているのです。

 

 報告書は、終わりに「子どもたちは神様から託された大切なたからものだと思っています。一人一人の児童の気持ちを酌み取り,寄り添い,温かく見守る」(16頁)などと、聖職者らしき歯の浮くような美辞麗句を弄しています。しかし、被告石上の実際の行動は、これとまったく裏腹に、学校管理者としての教育責任をことごとく放棄・懈怠していたことは明白です。

 

 すなわち被告石上も被告田島も、アスペルガー症傾向をもつ伶龍に必要な専門的検査や療育などを何ら行ないませんでした。被告高階のうち続く学校体罰の対象にされ、心理的にもトラウマを被っていたに違いない伶龍に対し、いかなる教育的フォローもとりませんでした。そして、かかる教育責任を放棄した状態のまま、被告田島と共謀し、まるで粗大ゴミを捨てるように、伶龍を児相送致によって学校から遺棄したのです。

 

 さらに、児相送致に成功した直後の5月29日、被告石上は、自らの管理下で起こった学校体罰には一言も言及しないまま、原告伶龍とその保護者に関し限りない非難を加える、驚くべき文書を所沢児童相談所に送付しました(甲第23号証)。この児相宛文書において、被告石上は、原告伶龍について「問題行動が多い」「非社会的行動が目立ち、規範意識が欠如している」などと書いています。

 

 いま、国際連合で各締約国における子どもの権利条約の履行状況を監査する「子どもの権利委員会」において、わが国の児童相談所のあり方について全般的な批判が台頭しています(甲第92号証)。ドイツのクラップマン委員は、日本政府が提出した「報告書の文脈からは、これは不透明な、保障もない少年司法上の措置であるという結論に達せざるを得ません。時として子どもの権利侵害になっている」と明確に批判しました。また、チリのモーラス委員は、「保護の目的で、子どもや青少年の自由の剥奪が過度に用いられる」ことこそ児相の存在理由であって、これは「きわめて憂慮すべき事態」であるとし、児相という機関の存在自体が「憂慮の対象」であるから「児童相談所に子どもが行かなくてもいいようにするために何をするか」がより重要だと言い切りました。そして、2010年に子どもの権利委員会が発表した第3回日本に関する最終所見第62項では「委員会は,学校において行動面での期待を満たさない児童が,児童相談所に送致されていることを,懸念をもって注目する」と摘示しました。このことからすれば、被告石上が理事長・校長として行なったのは、「問題行動が多い」ことを理由として児童の児相送致をなすという、国連子どもの権利委員会が指弾する人権蹂躙そのものです。

 

 さらに、被告石上は、これにあきたらず、体罰被害に抗議し続けた保護者に対し「学校の指導方針や対応に協力しない」などと非難し、「今後の指導に対する意見」として、自らの教育責任の放棄を棚に上げて、伶龍に「地域の学校での特別支援教育を受けさせる」、そして「父親から離」すなど、伶龍を児相の手で退学に追い込ませて学校から公式に排除し、さらに家族関係を破壊させることすら公然と要求しました。

 

 この報告書に散りばめられた表向きの敬虔そうな言葉と裏腹に、被告石上の修道服の外見の中にあるのは、用が済んだ後のちり紙のような扱いと冷酷な報復を、「神様から託された大切なたからもの」に対して平然と行なうことを恥じず、それを罪と思わない、傲慢な生身の人間にほかなりません。

 

 報告書の中に臆面もなく次々と繰り出される偽善の言葉の数々。これを被告石上の現実の行動と対照するならば、被告石上の聖職者(シスター)としての資質すら根本的に疑わせるものです。被告石上をいまだカトリックの聖職者にとどめている「汚れなきマリア修道会」の責任が問われなければなりません。もし、この修道会が、このような、教育者として極めて無責任な行動をとった被告石上に対して、修道会からの追放など適正な処分を加えようとしないのであれば、被告石上個人よりむしろ、「汚れなきマリア修道会」それ自体に本件の責任があるとされてもやむを得ないでしょう。

6. 結 語

 

 以上のように、この報告書は、被告法人の最高責任者であった被告石上が、その言動に首尾一貫性と責任感を欠き、場当たり的な美辞麗句で表面を取り繕いながら、その裏で陰湿な遺棄や報復の行動をとり、公正さと客観性を欠く仲間内の問題処理の帰結を強圧と誤魔化しを弄して保護者に押しつけるという、誠実さが著しく欠如した学校運営をなした事実を余すところなく示しています。

 

 問題の抜本的な解決と再発防止のためには、なにより、今日に至るまで学校法人晃華学園理事会に寄附行為(定款)第6 条が定める本来の規定を超えた数の理事を送り込んで学校運営を壟断し、この学校体罰と児相送致問題に何らの誠意ある対応をとろうとしない「汚れなきマリア修道会」が、被告法人から理事を全て引き上げ、被告法人の経営から全面的に手を引くことが必要です。

 

 伶龍は、このような被告法人によって学校体罰をうけ、さらに現在措置されている施設では、施設内虐待や向精神薬投与に晒されている強い疑いがあります。伶龍は、このような目に遭うためにこの世に生まれてきたのではありません。カトリックの利他的人間愛の思想に憧れて入学した学校で、教諭に暴行された被害児童を遺棄して学校体罰事件を隠蔽するなどという行為は、絶対に許すことができません。裁判長の賢明なご判断で、一日も早く愚息伶龍が私のもとに戻り、またもとの小学校のお友達と一緒に勉強でき、そして、日本国憲法が定める幸福追求権と発達権が保障される生活が再び甦るよう、お力添えを切にお願い申し上げる次第です。

 

以上 


2. PDFファイル

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